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VOL.5 Pernette Perriand(ペルネット・ペリアン)

2014.4 Via Durini Showroom
2014.4 Via Durini Showroom
お母様(シャルロット)は、どのような人物でしたか? エピソード・思い出をお聞かせ下さい。
シャルロット・ペリアンはフランスで言うところのいわゆる「強い女性」であり、誰もが自然と敬愛せずにはいられない人でした。自由奔放で、仕事でもプライベートでも常に男性と対等に渡り合う。1926年からはアルプス登山を始め、1930年代には10日間で4000メートル級の9つの山の登頂に成功しています。
登山は彼女にとって自己鍛錬やチームワークを形成するための最高の訓練の場であったと言えましょう。ザイルで結ばれたら男も女もなくなり、唯一山頂を目指すという共通の目的に向かって行くのですから。1927年にル・コルビュジエの作品と出会ったことはシャルロットの生涯で最も象徴的な出来事でした。ル・コルビュジエはシャルロットが常に矛盾や疑問を抱いていたことに対する明快かつ包括的な答えをその著書の中で述べており、それこそが彼女自身の道を切り開くきっかけとなりました。さらにシャルロットが出会った本として避けて語れないのが岡倉天心の「茶の本」でしょう。この本を通じ彼女は「禅」の哲学や「空」などの考え方を学び取りました。1930年代に政治運動に身を投じたことも彼女の思想や作品に大きな影響を与えています。建築という仕事はシャルロットにとって何よりもまず社会的な意味を担った活動であり、モダニズムや美的価値を万人の手に届けることを意図するものでした。また、1940年に初めて日本に渡ったことは彼女の人生に深く寄り添う経験となり、自身の魂の根源に日本の文化を宿し続ける一方で常に冷静な距離を保ちながら日本を見つめていました。1950年代〜60年代にかけては戦後の日本の住環境の質の悪さを酷評すると同時に母国フランスについても同様の批判をし続けていました。
Pernette Perriand
526 NUAGE
お母様のデザインポリシー(こだわり)について教えて下さい。
母はいわゆるデザイナーではなく建築家としての観点からデザインをしていました。建築的な空間やボリューム、各空間の織り成すバランス、全体的なハーモニー。あらゆる家具は住まうためのニーズを満たすものであり、人の動作や体のポーズに呼応し、手で触れたときの感触、あるいは可動性や機能性を充足するものとして捉えていたのです。フォルム(かたち)はとかく技術・素材・経済性・生産場所等に縛られます。しかしシャルロット・ペリアンのフォルムはムーヴメント(動き)に特徴付けられているのです。1920年〜1930年の間、初めて、スタッキング、組み合せ型、並置型、折りたたみ式、エクステンション型そしてマルチファンクションの家具をデザインしたのがシャルロットでした。シャルロット・ペリアンの家具には2種あります。1つは一連のシリーズとして作られた家具。あとは特定のプロジェクトベースでデザインされた一点もの。シャルロット・ペリアンのほとんどの家具は標準化されており、人間の体のサイズに合わせて展開され、組み合わせ可能となっています。彼女の作品はどれもが自然、造形美術、建築、そして人間とのつながりを持っているのです。

写真や旅などの趣味が、彼女のデザインにどのような影響を与えたと思われますか?
シャルロット・ペリアンにとって生活とクリエイションの間には境界線がありませんでした。フェルナン・レジェ、ミロ、カルダーらの友人やル・コルビュジエとの交流の中で彫刻や絵画にごく日常的に接すると同時に「かたち」や「人」を観察し、記録するためのひとつの方法がフォトグラフィー(写真)でした。写真は彼女の自然界の美しさに対する情熱、人間への敬意、造詣に関わる独自の世界観を表しており、様々な国を旅することにより多くを発見し自らのクリエイションの糧にしていました。「日本」はペリアンの作品の中に確たる足跡を残していると言えます。同様にブラジルそして1932年に滞在したイビザなどの国々も色濃く作品に影響を与えています。 シャルロット・ペリアン
LC4 CP誕生秘話などあれば、教えて下さい。
1928年にル・コルビュジエは快適性を極めた男性用、さらには別途女性用の長椅子を作らんとしていました。シェーズロング バスキュラン をデザインするにあたり、ル・コルビュジエはパスコー医師考案の長椅子と有名なトーネットの曲がり木のロッキングチェアを参照するようシャルロットに指示。同医師は第一次世界大戦中、負傷者を横たえるためのソファを考案しましたがこれは見た目にもよろしくなく、非常に重たい代物でした。これら2つの椅子を参考に、シャルロット・ペリアンは男性も女性も共に横たわることができるシェーズロング バスキュランをデザインしたのです。1929年、この椅子はシャルロット・ペリアン、ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレの共作として発表されましたがそもそものデザインは彼女に託されたものでした。
「日本」と言われるとまず何を思われますか?
建築、日本庭園、パワー、電車で居眠りしていても到着の10秒前にサッと目覚めるサラリーマン、
美、ウォルトディズニーのようなものと隣り合わせにある美学など。
一番好きな場所はあまりに多すぎて挙げることができません。
Pernette Perriand Pernette Perriand
今後、お母様の作品を通してやっていきたいことはございますか?
2014年のミラノサローネが終わったらすぐに2015年の発表に向けシャルロット・ペリアンのシンボリックな家具のデザインプロジェクトに着手します。できれば没後20年目にあたる2019年にシャルロット・ペリアンの大回顧展を日本で開催できればと考えております。
Pernette Perriand ペルネット・ペリアン Pernette Perriand
ペルネット・ペリアン

1944年、滞在していた日本から戦禍を逃れて移り住んだベトナムでシャルロット・ペリアンの長女として誕生。’46年、母とフランスに帰国。’53〜55年、父の転勤のため来日し、東京・赤坂見附の日本家屋に暮らす。’63〜67年、フランス国立工芸院でジャン・プルーヴェの講義を受講。’92年、同国「ギャルリー・ルイーズ・レリス」の内装と展示を母と共に手掛ける。’94年、同国・パリのアパルトマンの向かいの部屋の内装・設備を母と手掛ける。現在「シャルロット・ペリアン・アーカイヴ」代表。