WEB MAGAZINE2025.12

時を超えるバーから見えるもの Bar COMBLÉ オーナー
中山 昌彦 さん

静岡の路地裏に、扉をひとつ隔ててまったく別の時間が流れるバーがあります。桜色に染められたOSBの壁と天井、赤いスパンドレル、宙に張り巡らされた電線状の照明、そして黄色いFRPのテーブル。インテリアデザイナー・倉俣史朗が1989年に手がけたバー〈コンブレ〉の空間です。イクスシーが倉俣氏デザインの家具を復刻することは、過去を振り返る行為ではありません。いまの暮らしや空間の中でこそ、そのデザインがどのように息づくのかを問い直す試みです。その問いに向き合うために、現在もこのコンブレの空間を守り続ける、中山さんの声をたどります。そこには、「名作を残す」ことと「日々の営みとして使い続ける」ことを、矛盾させずに両立させようとする静かな意志がありました。

#1

出会い──
桜色の空間が生まれた夜

中山さんが初めて倉俣史朗と会ったのは、コンブレのオープニングレセプションの夜でした。まだ二十代半ばだった中山さんにとって、すでに世界的に名高い存在となっていた倉俣氏は、遠い存在でもありました。

─「ご挨拶して、“頑張ってください”と声をかけていただいたくらいで、会話らしい会話はできなかったんです。とても物静かで、寡黙な方という印象でした」

そのとき倉俣氏は、中山さんに「デザイン的には三十年は絶対大丈夫だから」と穏やかに告げたといいます。それからすでに三十五年以上の時間が流れましたが、コンブレの空間は今もなお古びることなく、訪れる人を驚かせ続けています。中山さんは、この空間が完成するまでを、スケルトンの状態からすべて見届けてきました。工事中は、まだ若いアルバイトとして現場に入り、掃除をしたり、資材を運んだりしながら、空間が立ち上がっていく様子を間近で見つめていたといいます。

─「初めて“出来上がった空間を見る”というより、
ここがつくられていくプロセスをずっと見てきた、という感覚なんです」


黄色いFRPテーブルを支える一枚ガラス、張力で支えられた電線状の照明、桜色に塗られたOSBの壁や天井。施工や運搬の効率よりも「継ぎ目を見せないこと」にこだわり抜いたディテールは、現場の職人たちの知恵と工夫によって実現していきました。デザインとつくり手、その両方の信頼関係から生まれた空間だったのです。

#2

「タイムレス」を保つという日常

中山さんは、自身を「倉俣空間の番人」と大仰に語ることはありません。日々淡々と掃除をし、営業を続けること。その積み重ねこそが、この空間を未来に手渡すための最も確かな行為だと考えています。コンブレには、一般的なバーとは異なる点がいくつもあります。カウンターの中には水回りも冷蔵庫もなく、ボトルの棚もありません。お酒は見えないバックヤードでつくられ、グラスもあえて何の装飾もない、普遍的なかたちのものを選んでいます。

─「お酒の瓶って、それぞれの歴史やストーリーを背負っているじゃないですか。このタイムレスな空間の中に、別の“ヒストリー”を持ち込むのは、どこか違う気がして。ここではノイズになってしまうんだと思うんです」

季節のフルーツを使ったカクテルもあえて提供しません。「夏ですね」「旬ですね」といった時間感覚を空間に持ち込むことは、この場所の“どこでもない、いつでもない”感覚と相容れないと考えるからです。BGMは歌詞の意味が耳に残らないようなミニマルミュージックやアンビエントミュージック。照明は時間帯によって表情を変え、写真で見るよりも柔らかく、人を包み込むような温度を生み出します。

─「ここは一体どこで、いつなのか。そういうことを少し忘れさせてくれるような場所であってほしいんです」訪れる人の多くは、建築やデザインの関係者、そして国内外の倉俣ファンたち。

なかには「本来なら美術館の収蔵品になっているはずの空間を、実際に使い続けていることが“恐ろしいほど素晴らしい”」と表現する人もいます。教科書や写真の中でしか知らなかった空間に実際に身を置き、座り、触れるという体験は、若い世代にとっても忘れがたい記憶となっているようです。
#3

倉俣デザインの普遍性と「日本らしさ」

なぜコンブレの空間は、三十年以上の時を経ても色褪せることがないのでしょうか。その理由について尋ねると、中山さんは「時間を感じさせない、タイムレスな感覚」に加えて、倉俣デザインに宿る「日本人らしさ」を挙げます。

─「このOSBを桜色に塗った壁と天井、裸電球を思わせる照明のたたずまい、真っ赤に塗られたスパンドレル。素材は工業的でも、どこか日本人にとって馴染み深いものの気配を感じるんです」

桜色の空間には、淡い温度と柔らかさが宿ります。アルミやFRPといった人工的な素材も、構成や色彩のバランスによって、どこか懐かしさのある風景へと変換されていきます。それは、トタン屋根や裸電球といった、日本の生活の断片を遠くに響かせるような感覚かもしれません。
同じことは、倉俣氏のプロダクトにも当てはまります。ステンレスやエキスパンドメタルなど、自然界には存在しない素材を用いながらも、HAL2のような椅子は、自然光の差し込むリビングや木の床とも不思議な調和を見せます。

─「ぱっと見は少しエキセントリックでも、実はあまり場所を選ばないんです。むしろ海外の家より、日本の家屋の中に置いた方がしっくりくるのではないか、と感じることもあります」

形やプロポーションに宿る普遍性と、日本人の感覚に根ざした色彩や素材感。それらが重なり合うことで、「どこか遠くて新しいのに、なぜか落ち着く」という、特別な居心地が生まれているのかもしれません。
#4

若い世代と、未来の暮らしへのバトン

近年、コンブレには建築やデザインを学ぶ学生など、若い世代の来店が目立つようになりました。彼らにとって倉俣史朗は、教科書や資料集の中で知る存在です。それでも、写真だけではなく「空間そのものを体験したい」と、静岡まで足を運んでくれます。

─「ここに身を置いて、自分の身体がどう感じるのかを持ち帰る。それが彼らにとっての体験なんだと思います」

イクスシーが行う倉俣デザインの復刻は、そうした「空間を通じて得られる体験」を、日々の暮らしのなかへと引き寄せる行為でもあります。HAL2のような椅子が復刻されることによって、コンブレで感じた時間の揺らぎや、過去と未来が溶け合うような感覚が、家庭やオフィスといった現代の空間にも静かに広がっていきます。

─「日常の中で、普通に使ってもらうのが一番だと思います。ひとつ家にあるだけで、空間はきっと豊かになりますし、使い込んでいくうちに、暮らしの中に馴染んでいくはずです」

復刻された椅子は、ガラスケースに収められる記念碑ではありません。毎日の食事や会話、仕事や考え事といった、ごく当たり前の時間を支える「道具」としてこそ、その真価を発揮します。やがてその椅子には、使い手それぞれの時間や記憶が積み重なり、新たな物語が刻まれていきます。

#5

過去を懐かしむためでなく
未来を豊かにするために

倉俣史朗は、生前「商業空間は儚く、長くは残らない」と語っていたといいます。一方で、割れガラスのテーブルや《ミス・ブランチ》のように、壊れゆく瞬間や儚い自然を閉じ込めて永遠性を与える作品も多く残しました。そこには、消えていく運命にあるものへ、どこかで「永遠」を願うまなざしも感じられます。コンブレの空間は、そうした矛盾を抱えながらも、今も静かに灯り続けています。そのそばには、毎日の掃除と営業を繰り返し、「とりあえず50周年までは」と、現実的な目標を口にする中山さんの姿があります。

─「過去とか未来とか、古いとか新しいとか、そういう次元ではない何かを、ここでは感じます」

イクスシーが倉俣デザインの家具を復刻するのも、同じ願いからです。復刻家具は、過去を讃える記念品ではなく、これからの暮らしを豊かにするための道具でありたい。コンブレがそうであるように、今日という日常の中で使われながら、静かに未来へと時間を受け渡していく存在でありたいと考えています。倉俣の思想は、コンブレの空間に、そして復刻された家具のディテールに、今も息づいています。その思想は、私たちの暮らしの中で、過去と未来の境界をやわらかく溶かし、新しい時間の質をデザインする力となっていくはずです。

PRODUCT

HAL2
IXC