ボーダーを外したセカンドハウスで「多拠点居住」というライフスタイルを提案 建築家 井上 玄

 様々な空間体験が出来るセカンドハウスで
「多拠点居住」というライフスタイルを提案
建築家 井上 玄

2017年秋、神奈川県の丹沢湖上流にある中川温泉の近くに、建築家・井上玄さんのセカンドハウスが完成しました。
丹沢山系の豊かな自然に恵まれた環境に建つその家は、とてもユニーク。細長い短冊状(レーン)の空間が並列に並んだ構成。
そこを直交に貫く一続きの空間。それぞれの空間に設えた大きな一枚ガラスの窓から見える庭の風景。離れとの間にある細長い中庭までもが、空間を構成する一つのレーンを担っています。
さて、この空間をどのように使おうか?どんなしつらえにしようか?さまざまなイマジネーションを刺激してくれるこの斬新なセカンドハウスについて、井上さんにお話をうかがいました。

人生のターニングポイントに、いつもこの「場」があった

この丹沢のセカンドハウスは、私の祖父が育った土地に建てたものです。ここには昔、祖父の暮らしていた家があり、先祖代々のお墓もあります。祖父が横浜に出てからこの土地はそのままになっていたのですが、年に数回は親族が集まってお墓参りをしたり、夏休みにキャンプをしたりしていました。 10年前に祖母が亡くなったとき、ここに親族が集まれる家をつくりたいと祖父から相談を受けたのが、ことの始まりですが、ここは私にとって、ターニングポイントとなるきっかけを与えてくれる特別な場でした。

進路のことで悩んでいた高校生の夏休み、いつものように家族でここにやってきました。そのとき父親が、遊びで小屋作りを始めたのです。それを手伝っているうちに、「ああ、建築の道もいいな」と思ったのが発端となり今に至ります(笑)。もともと、ものづくりが好きだったのですが、将来の方向性を決めたきっかけになりました。
そして、大学に進学して建築・設計がおもしろいと感じるようになったとき。「いつかこの場所に何を建てたい」と、漠然とですが思うようになり、あれこれと妄想を抱いていました。
大学を卒業し仕事を始め、独立してから7年目。学生のときから抱いていたその願いが実現し、とても感慨深いです。

自然と一体となるショールーム

祖父からの要望は、「2家族が集まって寝泊まりできる程度の別荘」というものでした。けれども、建築家である自分が手がけるのであれば、ショールーム的な役割を持つセカンドハウスにしたいと思い、祖父に掛け合ったところ「それならば」と、すべてを一任してくれました。孫の特権です(笑)。

さて、施主は自分ですから、自由です。せっかくのチャンスですから、何か新しい提案をしたいと考え、試行錯誤を重ね、結局3度ほど案を引っくり返し、設計に3年ほどかかってしまいました。
豊かな自然環境というこの土地の持つ力を大切にしたかったので、「建築に環境を取り込む、ということからさらに一歩踏み込んで自然と一体になる」というコンセプトを考え、それは設計に着手した当初から変わっていません。外側と内側のボーダーをどのように外していくのか、ということも大テーマとなりました。
この土地の特性として、北側の一段高いところに、シンボルツリーである大きなもみじの木があります。南側は空間が抜けています。この自然環境をどう切り取れば、自然との一体感のその先を建築でアプローチできるのか?
結果として、遠近感を高め、豊かな自然を効果的に切り取る南北に細長い短冊状の空間を並列にならべ、それぞれの素材とプロポーションに変化をもたせ空間の質の差異を設計しました。それぞれの空間には北側と南側に一枚の大きなガラス窓をはめ、内側と外側が視覚的に混ざるようにしつらえました。

使い手が「何かをしたくなる空間」を提案

例えば、階段があるレーンの床に砂利や石を敷いたり、西側のレーンの天井には木材を利用したりと、それぞれの空間で使う素材を変えました。なぜなら、空間の質を変えてその差異を顕著にすることで、使い手の「どのように使いたいか」という気持ちを喚起したいという意図があったからです。部屋のヒエラルキーをなくして、空間の使い方を限定せず、過ごす人の能動的な空間との関わりを誘発したい。それを建築の空間で提案したいと考えました。  せっかくのセカンドハウスです。日常ではできないことをできる空間にしたいという思いも反映させました。グレーを基調にした落ち着いたトーンの空間なら、書斎にしてもいいし、ギャラリーとして作品を展示してもいい。このキッチンなら友人を招いてお料理教室を開いてみたい、平日は仕事となり週末にはリビングになるなど。

それから、空間の使い方を限定しなければ、時間ごとに変化する部屋の表情を楽しむということもできます。太陽の動きに合わせて自分が空間を移動して、日差しが気持ちのいい場所を探しながら過ごす。吹き抜けの2階から眺める星が美しいから、今晩はここで寝ようとか。夏ならば、庭にテントを張ってグランピングを楽しむことだって自由です。
自然環境に人間が合わせて暮らすという、都会で暮らしていると忘れがちな本来の在り方を思い出せるような空間に仕上がったと思っています。

インテリアや家具が入ると建築の強さが上がる

好きな建築家は丹下健三さんです。なぜなら、設計する建築にクライアントだけでなく他の人も共有できる「社会的提案」が含まれているから。感動する空間でありながら、なおかつ、社会に向けて提案をするという姿勢にインスパイアされてきました。また、昨年は北欧へ行き、アルヴァ・アールトの作品をたくさん見てきたのですが、住宅から教会に至るまで、スケールの大小にかかわらずその根底に一貫している「ヒューマニティ」、そして、地域に密着しその土地性を生かした素材を建築・設計に入れていくという方法に魅せられました。
私は建築家であることを意識し、クライアントの意向を解釈した上で建築的な提案、つまり、骨格や空間構成を提案していきたいと考えているのですが、このアールトを巡る旅で素材やインテリア、家具などの要素をプラスすると建築の強さがさらに上がることを学びました。そのことは、このセカンドハウスにもいろいろな面で反映されています。

今回、撮影のためにカッシーナの家具をセカンドハウスに運び込み、空間にレイアウトしてみました。そしてあらためて、構造・フレームに対してできるだけ余分なものを削ぎ落とした、潔くシンプルな構造を追求するストイックな姿勢、素材や座り心地などへのこだわりなど、その質の高さに感じ入りました。これだけの家具がトータルで設えられたその迫力は、店舗のショールームで味わうことのできない体験です。

「多拠点住居」というライフスタイルを発信していきたい

このセカンドハウスは週末別荘として使うだけでなく、私達の設計事務所の2つ目の拠点です。同時に、様々な方との縁と交流が生まれる開いた場所として活用していこうと考えたのは、建築の構造や構成といった“器”だけではなく、暮らし方やライフスタイルの新しい提案もやっていきたいと考えていたからです。
その一つに「多拠点住居」というコンセプトがあります。仕事場、日常の住まい、セカンドハウスと数カ所に拠点を持ち、オンオフを切り替えながら、暮らし方を自分でデザインするというスタイル。「自分はどう生きたいのか?」「どう暮らしたいのか?」を中心に考え、クリエイティブなライフスタイルを追求します。

そのモデルケースとして、このセカンドハウスでの暮らし方を発信していきたいと思っています。ちょうど今年(2017年)の春、上の子どもが小学校へ入学するのを機に、住まいを横浜から逗子に移しました。私の仕事場は横浜なので、街(横浜・仕事場)と海(逗子・住まい)と山(丹沢・セカンドハウス)という、多拠点住居の実践をスタートさせました。 このセカンドハウスで仕事をすることもあるし、自宅のある逗子の海で週末を過ごすこともある。今、いろいろと試し全体を見ながら、家族みんなが心地よく暮らせるバランスを探しています。

この多拠点居住の暮らし方を、まずは身近な友人や会社のスタッフに伝搬させ、巻き込みながら、このセカンドハウスの可能性をどんどんと広げて、そして何かしらの形で発信していきたいと思っています。

井上 玄 Gen Inoue
1979年、神奈川県横浜生まれ。東海大学工学部建築学科卒業後、吉田研介建築設計室入社。2010年、一級建築士事務所GEN INOUE設立。「法面庭の家」で、第56回神奈川建築コンクール住宅部門 優秀賞受賞。東海大学建築学科非常勤講師。「作品性と機能性、デザイン性と快適性など、矛盾すると捉えられてきた面を同時に獲得できる設計を心がけています。今後は、プロフェッショナルとしての建築的な提案と同時に、全体の空間構成からディテールに至るまで、家具や植栽、備品に至るまでを一貫したデザインで提案していきたいと思っています。」
井上 玄